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コーコモー (インディアナ州) : ミニ英和和英辞書
コーコモー (インディアナ州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

コーコモー (インディアナ州) : ウィキペディア日本語版
コーコモー (インディアナ州)[す, しゅう]

コーコモー(、)は、アメリカ合衆国インディアナ州ハワード郡にある都市であり、同郡の郡庁所在地である。2010年国勢調査による人口は45,468人であり、2000年の46,113人から1.4%減少していた。インディアナ州では人口で第13位の都市であり、ハワード郡とティプトン郡で構成されるコーコモー大都市圏の主要都市である。2012年1月1日、市の南部と西部にあったアルトとインディアンハイツを併合して、面積では7平方マイル (18 km2) 以上増加し、人口は57,000人近くになった。近年、中華人民共和国浙江省金華市に位置する県級市東陽市姉妹都市を結んだ。
コーコモーはインディアンの言葉から名付けられた。郡庁所在地になったことで法律実務からまず恩恵を受けた。南北戦争前、鉄道でインディアナポリス市や東部の都市と結ばれ、成長を続けることになった。天然ガスの大きな埋蔵量が発見されてから成長が加速し、1880年代半ばにブームを呼んだ。このブームが惹き付けた事業の中に、新生間もない自動車産業があった。コーコモーの特に自動車産業でかなりの数の技術と産業の革新が起こり、その結果コーコモー市は「第一の都市」と呼ばれるようになった。現在も市内の雇用はかなりの比率で自動車産業に依存している。
== 歴史 ==

=== 初期の歴史と法人化 ===
開拓者の伝説では、コーコモーという名前の由来は、インディアンの言葉で「黒い胡桃」を意味する「コーコモコ」あるいは「マココモ」を縮めて「コーコモー」としたものであり、マイアミ族最後の酋長リチャードビルの4人いた息子の1人の名前だったと言われている。伝承では身長が7フィート (210 cm) あったと言われ、誤って「酋長」の肩書きが与えられたとされている〔Baker, Ronald L., ''Hoosier Folk Legends'' (Indiana University Press: 1984), p. 184.〕。「コーコモーの父」と呼ばれるデイビッド・フォスターは、コーコモーが「地球上で最も気難しい町」だったので、「最も気難しいインディアン」でるコーコモーから町の名前を採ったと主張していた。コーコモーは1775年に生まれ、1838年に死んだと考えられている〔Morrow, Jackson ''History of Howard County'' (Indianapolis: B.F. Bowen & Co. ), Vol. I (“Morrow I”), p. 48.〕。コーコモーが存在したという唯一の文献証拠は、その「妻」のために12ドルで小麦粉1樽を購入したという交易所の記録である〔。コーコモーの遺骸は、1848年に製材所建設時に他の者達の遺骸と共に発見され、パイオニア墓地の「北東隅」に移葬されたと伝えられている〔。ペルー・マイアミ族の伝承では、マイアミ族が「コーカマー」と名付けたソーンタウンから町の名前が採られており、その名前は1834年のウォバシュ川フォークス条約に「コーカムワー」として出ている。この名前は「ダイバー」(水に潜る水鳥の総称)と翻訳された〔Dunn, Jacob Piatt, "Indiana Geographical Nomenclature," ''Indiana Quarterly Magazine of History'', Vol VII no. 3, pp. 109-14 (September 1912), pp. 110-11.〕。
インディアン強制移住の結果として、1840年までにハワード郡(1846年まではリチャードビル郡)にいたマイアミ族は約200人にまで減少した。主要な開拓地はワイルドキャット・クリークの南岸にあったコーコモー村だった。インディアン道がコーコモーとフランクフォートやソーンタウン(ワイルドキャット・クリークに沿って)を繋ぎ、カスビルを経てペルーに、またグリーンタウンを経てメシンガムシャに繋がっていた〔。当時、デイビッド・フォスターが保留地の境界線とワイルドキャット・パイクの交差点近くにハワード郡の交易基地を持っており、そこで合法の取引と、マイアミ族に対するアルコールの違法な販売をおこなっていた〔Morrow I, p. 202.〕。
1844年にリチャードビル郡が設立されてから間もなく、郡庁所在地を設立するために指名されたコミッショナーが、フォスターの土地から寄付を得られるようフォスターと交渉した(1846年の徴税記録では、フォスターは552エーカー (2.23 km2) の農地と事業地区の67区画を所有していた)。その要請があったときに、コーコモーにあったものといえば、フォスターの丸太造り家屋と納屋、およびマイアミ族の小屋数個に過ぎなかった。コミッショナーはワイルドキャット・クリークの南岸にある肥沃な土地の寄付を求めたが、フォスターはそれを拒否し、その代わりに深い森と湿地のあったクリークの北岸40エーカー (0.16 km2) を寄付した〔Morrow I, pp. 56-58.〕。その寄付の条件として、フォスターがその土地に郡庁舎を建てることを求めていたが、フォスターはそれを後に辞退し、ルーファス・L・ブラワーズが28ドルで請け負った。その建設の遅れで2ドルの罰金を取られた〔Morrow I, p. 112.〕。丸太造りの郡庁舎は1845年に完成した。
1855年6月、ヘンリー・A・ブラウズがハワード郡政委員会に、コーコモーの町を法人化するよう申請した。最初の選挙は、不明の理由で行われなかったが、1855年10月1日に選挙が行われた。法人化賛成62票反対3票という結果により、郡政委員会は町の法人化を決定した。
1865年3月31日、コーコモーを市に昇格させるための住民投票が行われた。その提案が成立し、ネルソン・パーダムが初代市長に選出された〔Early Days, p. 330.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コーコモー (インディアナ州)」の詳細全文を読む




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